マッカーサーの眼の中に高杜一榮

マッカーサーの眼の中に
864円(税込)
  • カテゴリ:文学
  • 発売日:2016/06/10
  • 出版社:猫乃電子出版

作品紹介

「マッカーサーの眼の中に」を書く動機になったのは十代後半にヘレン・ミアーズが書いた「アメリカの鏡:日本」に出逢ったためだった。当時この本の日本語版と英語版両方を入手していた。この「アメリカの鏡:日本」は英文字題名が
「The Mirror for America:Japan」
で意味は「アメリカは過去の戦争で日本を非難するが、日本はただ単にアメリカの真似をしただけ」であった。ミアーズが書きたかったのは、何故アメリカと日本は戦争になったのか、その原因はいかなるものだったのか、であった。日本という国とアメリカの違いが明確に描かれている。日本の歴史から日米関係まで良く調べ結論を出している。彼女はGHQの職員として要職についていた。数回の日本滞在中に良く緻密に調べたものだ、と深く感心する。第一次と第二次世界大戦の原因と戦争の裏舞台に米国の戦略が巧みに編まれていたと書れている。真珠湾爆撃の真の原因は日本が英米仏蘭によって経済封鎖で周到に包囲され、真珠湾への軌道に載るまで追い詰められた。日本は「耐えに耐え忍び難きを忍び」真珠湾に向かってしまった。なおかつ敗戦となり、天皇陛下より同じ言葉を聞くことになった。当時の戦争とその背景を正確に精査し、ドキュメンタリーとして世に出したヘレン・ミアーズの勇気と情熱を高く評価したい。「アメリカの鏡:日本」は単純にいえば、「誰かアメリカを止めて」と示唆するものであった。彼女は世界でリーダーとして君臨しつつあるアメリカを「豊かであっても、精神的に成長途上にある国」とみなしたかったのだろう。多くの日本人は戦争の敗北感と挫折感で、この本の価値を理解することなく、彼女の慧眼を賞賛することはなかった。自著「マッカーサーの眼の中に」はマッカーサーとヘレン・ミアーズが対立しながらも日本に民主主義を植えつける作業に従事した歴史が描かれている。
 しかし「アメリカの鏡:日本」で優れた日本学であるという批評をもらったが、彼女には想像できない打撃が待っていた。この本がアメリカ国家批判としてアメリカ人にうけとめられ袋叩きに遭ってしまう。戦後ここまで日本とアメリカの関係を正確に描き出した作家がいたであろうか? ヘレン・ミアーズは唯一日本とアメリカの真実を解明した稀有な存在だ。一番の愛国者であり、日本を深く理解した唯一の米国人はヘレン・ミアーズだと言いたい。戦後すぐ日本でこの本が出版されたが、当時日本人は敗北感と罪悪感に押し潰されており、本の趣旨を理解する余裕もなかった。日本では大きな反応はなかったがその後数十年経過し再び「アメリカの鏡:日本」が再度出版されている。それはひとえに戦後七十年目で振り返り、日本人とは日本国家とはと考える日本人が多くなったためといえる。彼女が生きていた時代には理解されず、発禁本になったために彼女は老後暮らしにも困ったという。彼女の本は日本礼賛であり、なおかつ日本の真実をあまり理解していない日本人には日米を冷静に理解するための解説書といえる。最近ではケント・ギルバード氏がミアーズと同じ内容で発言している。多くの日本贔屓は「数々のプロパガンダを使われて足を引っ張られ隆盛を貶められそうになっていたのは日本」と主張している。ヘレン・ミアーズへの鎮魂の意味で「マッカーサーの眼の中に」を出すことにしたのだが、全編ミアーズの一人称で書いた。最後に一言記しておきたい。日本女性の地位を向上させるための男女同権ならびに日本女性の選挙権を敷いたのは彼女の健闘でもある。ミアーズは元帥の発案した宣教師招聘と聖書の配布を止めたという逸話もある。しか戦後七十年に数々の歴史が露見している。戦後八十年になれば、また別の隠蔽歴史が露見するのではないのか。

著者について

高杜一榮

1943年東京生まれ。文化学院美術科卒業後、アテネ・フランセ仏語科高等科三年を修了。仏語圏企業ならびに大使館などで秘書兼通訳として十五年ほど勤める。
1985年「土踏まずの日記」で光文社「小説宝石」の「エンタテインメント小説大賞」を受賞(審査員:西村京太郎、佐藤愛子、武蔵野次郎)。1989年日本初のパソコン絵画教室をオープン、日本経済新聞社の取材を受ける。2003年日仏外交史研究会のホームページをオープン。2008年慶応大学文学部入学、二年後法学部に転籍。2011年退学。
著書:「笑い水の日記」光風社1988年、「永子、大きくふりかぶれ」講談社1990年
「カション幕末を走る」文藝春秋2010年「蚕の旅 ナポレオン三世と家茂」文藝春秋2013年
電子本版
「上海人形」「上海阿片人形」「チュエンチュエンの消えた夜」「おれの水」「将軍お倉」(株)ボイジャー

レビュー